From:Dr.kappa
火曜日、午後8時57分
大学、オフィスより
前回のメールでは2つの論理の応用をお話ししました。
交換の論理と贈与の論理の2つ。
以前から本メルマガを読んで頂いている場合、「何回も聞いたよ」と思われるかもしれません。
ただ、この考えは比較的新しく、また知ってもすぐに使えるようなものではありません。
私自身、書籍で2つの論理を知り、更に何憶と売り上げたセールスレターを何本も分析してきて、「主張が交換の論理に基づく」ことに気付いて以来、主張を避けようと鍛錬して来ました。
ただ、まだ意識しないとついつい主張してしまいます。
(私の目には巷のセールスレターや広告、ブログ記事などは主張ばかりに映ります。)
ということで、この話は何度聞いたとて、益はあっても害はないと私は考えるので、今回もこのネタで書かせて下さい。
話の始まりは先日、オフィスへ向かって歩いている時に見かけた光景。
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私が目にしたのは親子です。
子どもはまだ小さく、母親に手を引かれて危なっかしそうに歩いていました。
その姿を目にした私はふと疑問を覚えました。
「私は今、あの名前も顔も知らない子どもに好感を覚えた。
なぜか?」
気になったので、私は歩きながら考え始めます。
(私は個人的に歩いている時に良いアイデアが浮かぶことが多いと感じています。
その為、歩きながら考えることを好みます。)
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ただ、その親子を通り過ぎる頃には私なりの「答え」は出ていました。
というのも、私の中では2つの論理で説明できるだろうというアタリが付いていたから。
この光景を見た時に私の中で起こった反応を観察していると、まず「危なかったしそうな子供を助けたくなった」ことに気付きました。
この観察を得たら私の中では「答え」まで一瞬でした。
というのも、以前書いたように、人は「お願いを聞いた相手に好感を覚える」傾向を持っているからです。
(この傾向を使ってRobert Collierが考え出した強力な書き出しをご紹介しましたね。)
この「」を理解していると、子どもに対して私が好感を抱いた論理的な理由は次のように説明できます:
- 危なっかしくて助けたくなる→
- 「助けたくなる」が仮想的にお願いを聞くことになっている→
- 助けたくなった相手、つまり子どもに好感を抱く
以上のような論理で少なくとも私は危なっかしそうに母親に手を引かれて歩いていた子どもに対して好感を抱いたのだろうと観察しました。
(「お願いを聞くこと」は贈与なので、贈与と言った方が分かりやすいかもしれませんね。)
この観察に至ると、別の事例も説明できるようになります。
ずいぶん前に読んだ話なので詳細は忘れましたが、言葉がすぐに出てこない(吃音とも呼ばれる傾向を持つ)弁護士がいたそうです。
彼はかなり不利な状況にあったにも関わらず、陪審員たちは雄弁に語ることのできない弁護士に寧ろ好感を抱いたのか、裁判には勝ったそうです(私の記憶が間違っていなければ)。
この現象も上の子どもの場合と同様の論理で説明できます:
弁護士と言ったら言葉巧みに聞く者を誘導しそうなイメージがありますが、そうではなく、寧ろ言葉に詰まりながら話す姿を目にして、陪審員たちは彼を助けてあげたくなったと想像できます。
その結果、上の論理を繰り返すことで彼は好感を獲得できたのだろうと考えられます。
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この観察で重要な点は、「実際にお願いを聞いてもらわなくとも好感を持ってもらうことが出来る」という点です。
思い出してみると、Robert Collierの考えたコピーも、見込み客が目にした時点では実際にはお願いは聞いていません。
以上の考察より「」に到達すると、コピーライティングだけでなく、友達や気になる人と上手く付き合う方法など、色々な場面への応用が思い付きますよね。
このメールを読んで「面白いね」と感じるだけでは日常は変わらないので、ぜひ実際に使ってみることをお勧めします。
(私は普段の研究で痛感していますが、単に教科書や論文を読むだけでなく、実際に使ってみることで理解が深まる効果も期待されます。)
最後までお読み頂き、どうもありがとうございました。
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