もし受験生に「頑張って」と言ったら…

From:Dr.kappa
月曜日、午後9時2分
大学、オフィスより

先週、1月14日・15日に(日本で)大学入学共通テストが行われたと聞きました。

私も受験をしたことがありますので、当時の圧迫されるような感覚は今でも記憶に残っています。

「なぜテストで評価されなければならないのか?」

「私の知能はテストで測れる側面だけではないのに」

「点数を取る為の勉強なんてつまらない…」

毎日そんなことを思っていました。

**

晴れて受験を終え、好奇心の赴くままに知を深められるようになると、一気に解放された気がしました。

また、当時の私のような受験生に「掛けてはならない言葉」というものも聞きました。

(10代前半のお子さんをお持ちの親御さんでしたら聞いたことがあるかもしれませんね。)

その1つが「頑張って」です。

(この言葉はうつ病の方々にも言ってはならないと聞いたことがあります。)

でも、なぜこの言葉がダメなのでしょうか。

考えたことはありますか?

私自身はあまり気にしていなかったのですが、つい先日、ふと「あ、それでか」と個人的に納得した瞬間がありました。

端的には、この言葉は交換の論理に則っているからです。

2つの論理(交換と贈与)があることは、このメルマガでは何度か書いて来ました。

交換の論理の特徴としては、一方が下がればもう一方が上がること。

資本主義は典型的な交換の論理に基づいた営みです。

商品とお金を交換しますよね。

(そして、私たちはどこか「売り手」「セールス」「広告」などに対して反感を抱く傾向があります。)

また、言葉に適用すると、分かりやすい形式としては(私の観察では)命令は交換の論理に基づいています。

というのも、命令者が上、命令を聞く者が下となって(少なくとも形式的に)上下関係が生まれるから。

この構造から、一方的に命令を受けると、私たちは命令者に対して反感を抱く傾向があります。

全く知らない人に「パン買って来い」と言われたら、良い気持ちはしませんよね。

他方で、贈与の論理は上下を生みません。

ある意味、押し付けることの無い、一方的な行為になります。

受験生をお持ちの親御さんなら馴染み深いと思いますが、子どもに掛ける愛情というのは典型的な贈与です。

「将来子どもが大きくなったら、自分たち夫婦の老後の面倒を見てもらおう」などと交換を期待している方は多く無いでしょう。

そうではなく、何の見返りも求めず、ただ一方的に与える行為。

これが贈与の論理に基づいた行動です。

**

さて、ここまで見て来た上で、改めて考えてみましょう。

「頑張って」は交換の論理、贈与の論理、どちらに則っているのか?

私の観察では、この言葉には押し付けるニュアンスがあります。

(念のため書いておきますが、この言葉を発した者が必ずしもそのような意図を持っているとは私は考えていません。

ただ、受け取り手によっては押し付けられたという印象を抱いてしまう者がいる、と言っているだけです。)

その為、聞き手によっては「押し付けられた」「命令された」という感じを受け、言葉を発した者(多くの場合には親御さん)に対して反感を抱いてしまうのではないでしょうか。

では、反感を抱かれにくい言葉にするにはどうすれば良いでしょうか。

贈与の論理に基づいた言葉に書き換えるとどうなるでしょう。

やはり、掛けても良い言葉として聞いたものの中に「応援しているよ」があります。

私の観察からも、この言葉は適切だと考えています。

というのも、応援をするのは言葉の話者(だけ)だから。

つまり、「応援をする」という行為は話者で閉じており、言葉を聞く者には何も押し付けないからです。

(「頑張って」という言葉はある種の命令になっています。

「頑張りなさい」と書くと分かりやすいでしょうか。

個人的には、ここに「押し付けられた」と感じる肝があると見ています。)

もし受験生やうつ気味の方に接する際は、「この言葉は交換の論理に基づいていないか?」と意識してみると、思いがけず怒らせてしまうような悲しいことは避けられるかもしれません。

また、交換の論理を避け、贈与の論理に基づいた言葉を使うことはビジネス上でも(私が認識しているだけでも)いくつもの恩恵があります。

これらについてはまた今度書きましょう。



P.S. アンケートに協力して頂きありがとうございました。

頻度を増やしてほしい方が数名に、このままの頻度でという方は0名だったので頑張ってメルマガを書いていこうと思います。

P.P.S. 私が受験生だった頃、英語では研究までしていました。

(当時から納得するまで理解しないと気が済まない性質を持っていたようです。)

具体的には、日本語の「て、に、を、は」に代表される助詞のように、英語ネイティブは前置詞に「特定のイメージ」を持っているに違いない、と仮定を立て、そのイメージを特定しようと様々な例文を調べていました。

onが「ある程度限定された状態との接触」を表していることはご存じかもしれません。

(この「」は当時の私のノートからそのままコピーしています。

難しい表現を使えば学者っぽいと思っていたのでしょうか笑)

様々な意味を持つasは「同程度、同じような状態、同時性を表す」、forに関しては「より好ましい方向へ向かうこと」と10代の私は判断したようです。

当時の私はこのような研究をしている時間が好きだったのですが、受験で点数を取れなければ「趣味じゃん」と片付けられてしまいます。

そこで、最も効率的に外国語を習得できる方法は何か?も研究していました。

そして、その理論に基づいて自作した教材で勉強していました。

テストの結果は以下の通りでした:

・問題は試験時間の1/3で解き終わる
・残りは寝ていたら発音を1問間違えて197点/200点
・リスニングは満点

実は、この結果を得る為に作った教材は提供もしているのですが、その教材を昨年12月24日、25日、26日と連続で買って頂き、「何かあるのか?」と思って調べたことで冒頭の共通試験を知りました。



最後までお読み頂き、どうもありがとうございました。

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