Reason Whyの盲信

From:Dr.kappa
月曜日、午後11時28分
日本、本州

音楽はなぜ「音楽」として聞こえるのでしょうか?

これは私が子供の頃に抱いた疑問です。

というのも、次のような「矛盾」を感じたから。

(当時の私としては)ピアノのように飛び飛びの音しか演奏されていない筈なのに、頭の中では連続的なメロディーとして聞こえていました。

(もちろん、今となっては「空気の振動は残っている」などという物理的な説明ができますが、それでもコンピュータなどを使って人工的に2つの音の間の空気振動を消した場合でも、私たちは一連のメロディーを「聞き」ます。)

一方では非連続的なのに、なぜ同時に連続的になれるのか?

これが当時の私の疑問でした。

この疑問はずっと忘れていたのですが、この土曜日に映画「アマデウス」を観ている時にふと思い出しました。

ただ、今回は即座に「答え」が浮かびました。

(私の頭に浮かんだ)理由は「人間の隙間を埋めようとする傾向」にあります。

これは以前も話したことがありますね。

以前に公理として設定していた興味の私なりの定義「空間の存在を知っているが中身を知らない状態」もこの傾向から説明できます。

そこで、この傾向を公理に格上げし、興味の定義はそこから導かれる帰結となりました。

さて、なぜ「隙間を埋めようとする傾向」は人間がメロディーを聴く理由を説明できるのでしょうか?

既に見当が付いているかもしれませんが、非連続的な音の間を埋めようとすると考えられるからです。

いま思い出したのですが、この傾向は2009年春にウィスコンシン州ショアウッドの音楽教師によっても発見されています。

彼女は18人の5年生に、女性の声の録音を聞かせました。

子供達は訳がわからなかったのですが、聞いていると、ある4つの単語が繰り返されます。

Sometimes behaves so strangely(時々とても不思議な振る舞いをします)

するとどうなったか?

まさに不思議なことが起こりました。

子供達はリズムを「聞き取り」、メロディーまで生まれ、完璧に声を揃えて歌い始めたと言います。

この事例は、ヒットを研究したこの本で解説されています。

そこでは、適切な繰り返しによって言葉が歌になり、更に人を惹きつけると説明されているのですが、次のようにも解釈できるでしょう。

つまり、繰り返された4つの単語の中にパターンを見出そうとした、と。

こう解釈すると、この「不思議な現象」も、人間の隙間を埋めようとする傾向の帰結に過ぎません。

そして、非連続的な音の中に私たちがリズムやメロディーを聴く理由でもあります。

「隙間を埋めようとする傾向」を別の言葉で表現すると、アイデアネットワークにコヒーレンス(整合生や辻褄)を持たせようとする傾向のことです。

(そもそも、私たちが言葉から「意味」を感じ取るのも、今までの膨大な経験から推測という辻褄合わせをしているからでした。)

時々、特定の言葉を全く違う「意味」で使っていて、ある時、意味が通じない場面に接することで、(より)正しい「意味」を知ることがあります。

このようなことが起こるのも、言葉の「意味」は絶対的なものではなく、経験の辻褄を合わせるために推測されているからです。

言い換えると、アイデアネットワークのコヒーレンスが無い状態に私たちは恐怖を覚えます。

「アマデウス」の中でもモーツァルトが乱れた生活をしている時、彼の奥さんが「理由を教えて」と迫る場面がありました。

私たちがこの場面に何も違和感を覚えないのは、説明が付かないことを避けたい、と(もはや)本能的に感じているからです。

これも以前に書きましたが、この傾向には進化論的な背景があるのでしょう。

たとえ捕食者がランダムに現れていたとしても、そこにパターンを見出し、未来に備えられた者が生き延びて来た為、現在の人間にもこのような傾向が残っているのだと考えられます。

特に人間はバラバラな事実の間に「秩序」を持たせることによって未来に備え、発展してきました。

私の本業である科学などはこの営みの賜物でしょう。

では、この「アイデアネットワークにコヒーレンスを持たせようとする傾向」を認めたとすると何か言えないでしょうか?

相手に影響を与える言葉(セールスレターなど)に応用できないでしょうか?

可能だと私は考えています。

具体的には、以上の考察から、非常に強力な形式が見えてきます。

それは物語です。

理由は4つ:

1.人間の頭に合った形式だから
2.個々の事例を見せられるから
3.興味を引きやすいから
4.読みやすくなるから

順番に説明します。

まず1つ目の形式に関して。

これは3月2日のメルマガでも書きましたが、2歳の女の子の独り言を観察した心理学の実験から、彼女は物語に出来事を埋め込むことで世界を認識しようとしていたことが分かりました。

つまり、物語というのは人間の頭に入りやすい形式だと言えます。

実際、世界で最も読まれている本、聖書は物語形式で書かれているのでした。

また、私たちが子供の頃、親に話してもらった物語を覚えているのも、やはり脳に入りやすいからでは無いでしょうか。

物語が強力である2つ目の理由をお話しするには少しだけ準備が要ります。

人はどんな時に未来の予測を変えるかを調べた心理学の実験があります。

その実験では、糸電話のように音声のみで複数名の被験者を繋いでおき(被験者は皆別の部屋にいるので互いの様子を視覚的には確認できない)、その内の一人は仕掛け人を混ぜておきます。  
そして、仕掛け人には発作が出た演技をしてもらい、他の被験者が仕掛け人を助けようとするか否かを見ました。

この実験では他の人が助けるだろうという楽観から、仕掛け人を助けようと行動した者はほとんどいなかったという結果が得られました。

言い換えると、通常、私たちはこの状況では多くの者が助けると直感的に判断します。

ですが、実際の結果はその直感に反するものだったということです。

この結果自体は傍観者効果などという名で知られているのですが、今考えたいのはその後。

この実験の結果を心理学教授が学生に教えた時に興味深い反応が得られました。

単に何人中何人が行動を起こしたかという統計を見せた場合、学生たちが同じ場面に接しても、多くの者が助けるだろうという直感は変わりませんでした。  
一方で、ほとんどの者が助けに走らないという実際の場面の映像を見せたところ、学生たちは学習し、直感が変わったということです。

この結果をどう解釈すれば良いでしょうか?

アイデアネットワークという考えを使うなら、このように言えるのでは無いでしょうか。

統計や理論は「経験」として保存されないが、個々の事例は「経験」としてストックされ、アイデアネットワークを書き換える、と。

実は、この教訓は広告でも既に利用されています。

チャリティーなどに多い、次のような広告です:

A:アフリカでは毎年X万人の子供達が飢餓のせいで亡くなっています

という統計や論理は使わず、

B:アフリカのAちゃんは飢餓のせいで亡くなりかけています

というようなメッセージが使われます。

なぜAの言葉ではなく、Bの言葉が使われるのか?

理由はBの方が受け取り手が募金してくれるからです。

ただ、その理由は、個々の事例を見せたことによってアイデアネットワークが書き換わり、未来の予測・直感が変わったから、と言えるでしょう。

そして、物語というのは個々の事例を見せやすい形式です。

(個人名を出さない小説や映画があるでしょうか?

少なくとも私は知りません。)

したがって、物語によって個々の事例を見せることによって相手の行動を変える力を持ちます。

物語が強力である3つ目の理由は、興味を引きやすいからです。

こちらは既に1月15日のメルマガで詳し目に書いたので、詳細はそちらをご覧ください。

簡単に言えば、物語という形式は鎖の輪のように、1つを与えるだけでその続きの一連の流れを予想してしまうからです。

その予想が空間の存在を知らせ、一方でその中身を知らないという状態なので、これは正に(私の観察によると)興味を引かれる状態そのものでした。

したがって、物語という形式を使うことによって、自然と続きに興味を引くことができます。

最後の4つ目の理由は読みやすくなるから。

物語は性質上、会話が多くなります。

そして、会話は読みやすい傾向を持っています。

その理由は、

・1文が短くなるから
・易しい単語が多くなるから

などなど。

したがって、会話を使うことによって、自然とこれらの読みやすくなる要素が含まれ、読む抵抗が小さくなります(前回のメールと関連付けるならリーダビリティ値が上がる)。

(私はこの方法をMark Fordから学びました。)

また、この方法を、私が現在行なっているGDNに取り入れたところ、リーダビリティ値が上がり、

・FV通過率
・熟読度
・遷移率

が悉く上がるという良い結果に繋がりました。

少し脇道に逸れましたが、以上より、

1.人間の頭に合った形式だから
2.個々の事例を見せられるから
3.興味を引きやすいから
4.読みやすくなるから

という理由から物語が強力だと考えています(そして、私のテストでも効果は実証されています)。

ここで、コヒーレンスに関して1つだけ補足しておきます。

ライティングを勉強すると、reason whyが重要だと主張されることがあります。

ただ、(私が知る限り)John E. Kennedyによって提唱されたこの考えを盲信すると、少しズレると考えています。

というのも、先ほどチャリティーの広告を例に見たように、人間の判断を変えるのは、論理や統計を司るシステム2ではなく、直感などを司るシステム1だったから。

もし、reason whyが絶対的に正しかったとすると、Aちゃんの事例だけを見せた広告ではなく、統計を見せたコピーで募金する筈です。

ところが、現実は違います。

つまり、私たちは統計や論理というreason whyではなく、アイデアネットワークのコヒーレンスで判断しているということ。

敢えて極端なことを言えば、辻褄が合っていれば理由は無くても構いません。

(実際、Aちゃんの例では1つしか事例を見せていないので、全く論理的ではありません。

もしかしたら彼女以外は全員食べ物が余っている可能性は、Aちゃんの事例を見せるだけでは排除できませんので。)

以上より、相手に影響を与える言葉で重要なのは、reason whyではなく、アイデアネットワークのコヒーレンス。

そして、その辻褄合わせをする形式として強力なのが物語だと考えられます。

相手のAwareness次第では物語を使わない方が好ましい場合(Most-awareの場合など)もありますが、それ以外の場合は物語を使えばまず間違いないでしょう。

このメールで考察した強力なコピーの形式が参考になりましたら幸いです。


最後までお読み頂き、どうもありがとうございました。

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