From:Dr.kappa
火曜日、午後4時02分
大学、オフィスより
2つの論理とゲーム理論の関係をお話ししようかと思いました。
ただ、最近、贈与論の話ばかりになっていることも認識しています。
そこで、今回は私の公理の1番目、
言葉と世界
について少し深掘りしてみることにしましょう。
というのも、ちょうど良い題材を提供してくれた方がいるから。
noteをご覧頂いていたらご存知かもしれません。
私は最近ある方とやり取りしています。
その方は、私の過去のメール、『「本質」という嘘』に対してコメントされました。
曰く、「絶対善」なるものを定義した、絶対正しいからブログを見てね、とのこと。
(私は最近主に本業で忙しいので、ブログは読んでいません。
コンピュータウイルス対策も兼ねて、身元のわからない方のリンクは踏まないようにしているという理由もあります。
メルマガのように、個人情報を扱う可能性がある者は全員注意すべきだと私は考えているからです。)
いずれにせよ、私の記事のコメント欄でやり取りするほうが私には都合が良いので、そちらでやり取りしています。
(ご興味がありましたら、こちらから読んで頂けます。)
さて、詳細は上の記事のコメント欄に譲るとして、その方は「絶対」を次のように定義されました:
「対が絶えている」
この答えを頂いた瞬間の私の反応や、文字通りではないかという批判は今は置いておきましょう。
そして、このメールの本題として、「対が絶える」という言葉を取り上げてみたいと思います。
その方はきっと善い方なのでしょう。
悪など見たくないのだと思います。
それでか、善の対となる悪が絶えている状態を「絶対善」と定義されました。
さて、ここで考えてみたいと思います。
このように定義された「絶対善」は存在するのでしょうか?
(定義する分には構いません。
ただ、定義が強すぎて定義した対象が存在しないことは往々にして起こります。
分かりやすい例で言えば偶数であり、同時に奇数である数。
これは定義は数学的にきちんと出来ていますが、条件が強すぎる為、そんな対象は存在しない「クウキョ」な定義になっています。
定義して満足するなら良いですが、中身が無いと「ムイミ」ですよね。
元の「絶対善」に戻ります。)
悪が絶えた状態は存在するのか?
これが、私が上の定義を見た瞬間に考えたことです。
そして、その「答え」は直ちに出ました。
存在しない。
と言うのも、「絶対善」なる概念の土台に悪が入り込んでいるからです。
言い換えると、悪無しでは「絶対善」は定義されないから。
少し抽象的になって来てしまいましたね。
分かりやすい例を考えてみましょうか。
何回か前にブラックホールの話をしました。
(また分かりにくい話が始まったとお感じですか?
もう少しついて来てくださいね。)
ブラックホールはその名の通り光さえ逃れられないことから(ほとんど)真っ黒な天体。
では、なぜわざわざ「黒い」と言わなければならないのでしょうか?
それは「黒以外」が存在するから。
したがって、「黒」と言う概念は「黒以外」が存在することによって初めて立ち上がります。
(宇宙全体が真っ黒であれば「黒い」という必要はありませんからね。
あるいは、日本しか知らなかった昔の日本人たちは、わざわざ自分たちを日本人とは呼ばなかったでしょう。
私は歴史に詳しくありませんが、黒船だかフランシスコ・ザビエルだかが来て、「外国人」という概念が立ち上がった時に初めて「日本人」という言葉・概念ができた筈です。)
つまり、黒という言葉を作った瞬間、「黒以外」も同時に作られるということ。
いや、黒という概念は「黒以外」が存在して初めて立ち上がると言っても良いです。
さて、元の問題に戻ります。
「善」だけの状態である「絶対善」は存在するのか?
もう、お気付きかもしれませんね。
「善」を作った瞬間に、「善以外」つまり悪が作られています。
より露わに表現するなら、「善」はそれ以外、つまり「悪」の存在無しには成り立ちません。
以上より、「善」という概念を持っている以上、その対である悪が絶えた状態は存在しません。
コメントを下さった方の言葉を使うなら、「絶対善」はそもそも存在しないと言うことです。
恐らくその方は自己啓発がお好きなのだと思います。
そういった方々は理想的なものに惹かれるようなので。
(実際、その方も「イデア」と何度も書かれています。)
したがって、特に自己啓発にどっぷり浸かっている方々にとっては今回の話は残念な考察かもしれません。
ただ、そんな方々に朗報です。
限りなく「絶対善」に近いものは考えることができます。
それは何か?
もしかしたら、上の議論から気付かれたでしょう。
そう、善悪という概念自体を消し去ること。
そうすれば善も消えますが、悪も消えます。
したがって、「悪」が絶えていると呼べなくもありません。
(「善」という概念が存在しないので絶対「善」とは呼べませんが。)
**
今回のメールで見た例は善悪という1つの例に過ぎません。
人間は一般的に言葉によって「事実」を切り取り認識しようとします。
したがって、より細かな分類が必要であればそれだけ言葉も作られる傾向があります。
(ちょうど日本語には雨を表す表現が多いように。
恐らく稲作などに大きな影響をもたらしたからだと思います。)
あるいは、区別が必要なければ言葉も作られず、したがって世界の解像度が「落ち」ます。
(世界には色を表す言葉を3つしか持たない言語も存在します。
したがって、その言語の話者は虹を見たとしても「3色だ」と答えるしかありません。
彼らの世界は3色で出来ています。)
ここから学べる教訓は、私たちが世界を認識する道具、言葉の使用法に熟練することにより、世界の解像度が上がると言うこと。
また、外国語を身に付けるのも効果的です。
それにより、異なる認識の仕方を知ることができますので。
もし、人間の言語習得メカニズムに則った学習法にご興味がありましたら、こちらをチェックしてみて下さい(Pontというプラットフォームに飛びます)。
私自身が受験生の頃に実践していた方法で、
・センター試験を1/3の時間で解き終わる
・それでも197点/200点(見直しをせず寝ていたら発音を1問落としました)
・研究者となった今も特に苦労せず論文の読み書きや英語での議論が出来ている
土台となった勉強法です。
最後までお読み頂き、どうもありがとうございました。
ご質問やご意見を歓迎します。
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